心に残る関取去る~貴ノ花死去

初代貴ノ花が口腔底がんで亡くなられた。55歳という若さであった。非常に残念でならない。小学校の頃、祖父の影響でいつも相撲中継を見ていたんだ。当時、先代貴ノ花が一番のファンだったという記憶がある。判官贔屓というか、大きな関取の中で、小兵でありながら、大関を張ったことは、なぜか小学生だった俺に勇気を与えてくれた。当時は、千代の富士が台頭する前で、北の湖、輪島、三重ノ海、魁傑、旭国、増位山、琴風、高見山、若嶋津、若三杉(2代目若乃花)、朝潮、北天佑・・・・・デカイ力士が多い中で、真っ向勝負は子供心にも悲壮感が漂った。今では横綱、大関がツッパリなど張ることも珍しくないが、当時は、がっぷり四つの正攻法?が上位陣の相撲で、組みに行く貴ノ花が吹っ飛ばされても向かっていくシーンが過ぎる。しかし大関在位50場所は、今でもその記録が君臨しているように、真っ向勝負に挑んで、かすかな記憶では、何度もカド番を経験しては、跳ね除けていたわけだ。千秋楽に勝ち越しを賭けるっていうのが、貴ノ花のスリリングな展開を緊張した面持ちで小学生ながら見ていたなあ~。それが貴ノ花に対する想いであった。小学校当時、「大相撲入門」を買ってもらって、大相撲の魅力にはまったのも、紛れもなく先代「貴ノ花」の影響である。今でも大事に取ってある。昭和50年秋場所の初優勝のときの映像シーン。12勝3敗で北の湖との優勝決定戦。確かにライブでテレビ中継を見ていた。手に汗握って、最後北の湖を破った瞬間は、今でも記憶に残る。あの昭和の大横綱大鵬を引退を決断させたのが、貴ノ花だったというエピソードは今回知った。そして、貴ノ花が引退を決断したのは、あの千代の富士との取り組みで破れての決断。世紀の大横綱、大相撲人気を支え、繋いできた立役者であったことを物語る。そして、さらに、引退後、藤島部屋を興し、息子二人を横綱まで育て上げた実力者。3代目若乃花、2代目貴乃花の若貴時代を築くと同時に、貴ノ浪、貴闘力、安芸の島・・・相撲界では、藤島部屋の台頭により、さらに大相撲ブームは高まっていったが、すでに過去。終わりを告げて以降の人生は、息子兄弟の不仲、夫人との離婚など家族のスキャンダル、そして病魔に侵されて、晩年は波乱に満ちた人生だったっていうのがなんとも悲しいし、寂しい。「勝、もう駄目だ。」が最後の言葉。”最後まで諦めるな”が身上であった父が最期に初めて見せた弱音。心よりご冥福をお祈りします。

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